孔勍

From Wikipedia, the free encyclopedia

孔 勍(こう けい、854年 - 932年)は、末から五代十国時代にかけての軍人は鼎文。本貫兗州[1]

経歴

兗州から宿州に家を移した。若くして騎射を得意とし、軍中の小校となった。朱全忠に仕えた[1]天復2年(902年)7月、李茂貞と戦って、鳳州隴州成州を奪取した[2]。11月、鄜州を襲撃して下した[3]刺史に昇進し、斉州防禦使・宣化軍節度使を歴任した。後梁開平4年(910年)、王球が襄州に拠って叛くと、孔勍は王球の乱を討って鎮圧した。そのまま山南東道節度使に任じられた。同光元年(923年)、後唐荘宗が後梁を滅ぼして洛陽に入ると、孔勍は洛陽に入朝して後唐に帰順し、再び襄州に帰った。同光2年(924年)、昭義軍節度使に移された。同光4年(926年)、監軍の楊継源が都将と謀って潞州で自立しようとすると、孔勍は楊継源を殺害した。天成元年(同年)、明宗が即位すると、孔勍は洛陽に召還され、河陽節度使に任じられた[1]。天成3年(928年)、太子太師として致仕した[4]長興3年(932年)5月16日、死去した[5]。享年は79。太尉の位を追贈された[1]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI