孝昭皇后元氏

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在位 560年 - 561年
別称 孝昭皇后
配偶者 孝昭帝
子女 高百年
元皇后
北斉の皇后
在位 560年 - 561年

別称 孝昭皇后
配偶者 孝昭帝
子女 高百年
氏族 元氏(北魏宗室
父親 元蛮
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孝昭皇后(こうしょうこうごう、生没年不詳)は、中国北斉孝昭帝高演の皇后。姓は本貫河南郡洛陽県

北魏宗室の元蛮(元叉の弟で、明元帝の弟の拓跋煕の玄孫)の娘として生まれた。北斉の常山王高演に嫁いで常山王妃に立てられた。天保末年に文宣帝が元氏一族を粛清した際、高演のおかげで元蛮の家族は赦免され、歩六孤の姓を賜った[1]

560年皇建元年)8月に孝昭帝が即位する[2][3][4]と、11月に元氏は皇后に立てられた[5][6][7]561年(皇建2年)11月に孝昭帝が晋陽で死去する[8][9][10]と、元氏は棺を守ってに向かった[1]。汾水の橋を渡ったとき、武成帝は元氏が奇薬を持っていると聞いて、追いかけたが薬を得られず、車の中で宦官に辱めさせた[11]。元氏は降格されて順成宮に住んだ。武成帝が楽陵王高百年を殺害すると、元氏は武成帝に隔意を抱いた。宮中では元氏をめぐる流言飛語が起こり、武成帝が元氏の父や兄の書信を入手したため、父の元蛮は免官された。北斉が滅ぶと、元氏は北周の宮中で生活した。楊堅が北周の丞相になると、自由にされて山東に帰った[12][13][14]

脚注

伝記資料

参考文献

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