宇佐美実政 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代後期生誕 不詳死没 文治6年(1190年)1月別名 大見氏、平次 凡例宇佐美 実政時代 平安時代後期生誕 不詳死没 文治6年(1190年)1月別名 大見氏、平次主君 源頼朝氏族 平姓宇佐美氏[注 1]、大見氏兄弟 政光、実政[2]テンプレートを表示 宇佐美 実政(うさみ さねまさ)は、平安時代後期の武士。伊豆国田方郡大見庄の人[3]。 治承4年(1180年)兄・政光とともに源頼朝に従って石橋山の戦いに従軍し、頼朝敗走の際には加藤景廉らとともに殿となって戦った[2]。同年、頼朝が敗走先の安房から相模に入国した際には論功行賞を受け、以後は頼朝の御家人に列した[4]。治承5年(1181年)にはその武勇が認められて頼朝の寝所番の一人に選ばれるなど、鎌倉における頼朝の側近としての活動が見られる[5]。文治2年(1188年)伊勢神宮の訴えにより、恩賞として与えられていた林崎御厨の地頭職が停止させられている[6]。文治5年(1189年)奥州合戦では比企能員とともに北陸道方面の大将として進軍し[7]、8月には田川行文・秋田致文らを討って出羽を平定した[8][9]。その際、由利八郎を捕らえた功績を巡って天野則景と争論になるが、維平自身の証言により実政の功と認められている[10]。戦後、同年末に大河兼任が出羽で反旗を翻すと翌年1月に実政も反乱軍に討ち取られた[11][12]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 同郷の工藤氏族宇佐美氏とは別流である[1]。 出典 ↑ 太田 1963, pp. 639–640. 1 2 『吾妻鏡』 2008, p. 13. ↑ 「静岡県の地名」編集委員会 2000, § 大見郷. ↑ 虎尾 1982, § 大見郷. ↑ 『吾妻鏡』 2008, p. 46. ↑ 平松 1983, § 西林崎村. ↑ 高橋 1980. ↑ 虎尾 1982, § 田川村. ↑ 『大日本史料』 1968, pp. 765–766. ↑ 『大日本史料』 1968, pp. 766–768. ↑ 虎尾 1982, § 南津軽郡. ↑ 『大日本史料』 1968, pp. 879–881. 参考文献 上田正昭; 西澤潤一; 平山郁夫 ほか 編「宇佐美実政」『日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 9784062108003。 「静岡県の地名」編集委員会 編『静岡県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、2000年。ISBN 9784582490220。 平松令三 編『三重県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1983年。ISBN 9784582910391。 虎尾俊哉 編『青森県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1982年。ISBN 9784582910216。 高橋富雄「奥州合戦」『国史大辞典』 3巻、吉川弘文館、1980年。ISBN 9784642005036。 太田亮『姓氏家系大辞典』 1巻、角川書店、1963年。ISBN 9784040302102。 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第四編』 2巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 9784130901529。 早川純三郎 編『吾妻鏡〈吉川本〉』 1巻、吉川弘文館、2008年。ISBN 9784642041966。 Related Articles