宇倍野村

日本の鳥取県岩美郡にあった村 From Wikipedia, the free encyclopedia

宇倍野村(うべのそん)は、鳥取県岩美郡にあった自治体である。

廃止日 1957年1月1日
廃止理由 新設合併
宇倍野村大成村国府町
現在の自治体 鳥取市
日本の旗 日本
概要 うべのそん 宇倍野村, 廃止日 ...
うべのそん
宇倍野村
廃止日 1957年1月1日
廃止理由 新設合併
宇倍野村大成村国府町
現在の自治体 鳥取市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陰地方
都道府県 鳥取県
岩美郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 32.19 km2
総人口 6,304
県統計書、1956年)
隣接自治体 鳥取市、大成村、津ノ井村福部村岩美町
八頭郡郡家町(2代)、中私都村
宇倍野村役場
所在地 鳥取県岩美郡宇倍野村大字町屋309番地
座標 北緯35度28分40秒 東経134度16分21秒
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概要

現在の鳥取市のうち、旧国府町西部に当たる。袋川中流域に位置した。

合併前の国府村法美村御陵村は袋川を中心として開けた県下一の穀倉地帯であり、鳥取市に隣接して生産と消費がうまく調和していた。このためいち早く合併の話が進んでいたことから1907年(明治40年)に宇倍野という村名で合併して発足した。合併当時は世帯数806戸、人口5745人であり県下最大の村であった[1]

戦後、県は財政の基礎を充実し行政水準を高めるためには小規模自治体は合併すべきとして1951年(昭和26年)9月に「町村規模の合理化に関する要綱」をたてた。1952年(昭和27年)6月、岩美郡町村合併促進審議会では当村・成器村大茅村の3ヶ村が合併して1町村となることが交通的・経済的に至当であると答申したが、同年7月21日に県が出した合併勧告では鳥取市と周辺20ヶ村(岩美郡7ヶ村、気高郡13ヶ村)とされ、その中にこの3ヶ村が含まれていた。そのような状況の中で成器村と大茅村は以前から合併機運があったことからわずか1ヶ月の協議期間を経て同年11月に合併して大成村となった。しかし国が目標とするところの合理化案には程遠かったことから以来当村との合併話に発展していき、県は1956年(昭和31年)12月7日に当村と大成村の合併を勧告、これにより2ヶ村は合併して国府町となった[1][2]

特産品は県内で最初に松保村で栽培が始められた二十世紀梨1914年(大正3年)に高岡の川上正春が村内に取り入れた。平野部周辺の丘陵斜面を開墾して梨栽培が普及すると昭和初期には市場関係者の間で「東の宇倍野、中の東郷、西の八橋」と言われるほどの大産地となった[1]

沿革

  • 1907年(明治40年)4月1日 - 国府村・法美村・御陵村が合併して宇倍野村が発足。合併各村の計20大字を継承。役場位置を大字宮下村と定める[3]
  • 1912年(大正元年)7月30日 - 役場位置を大字町屋村309番地に変更[4]
  • 1914年(大正3年)10月1日 - 「宇倍野村大字○○村」から大字の「村」を削除し、「宇倍野村大字○○」と改称[5]
  • 1947年(昭和22年)11月27日 - 昭和天皇の戦後巡幸昭和天皇が国立鳥取病院を訪問し、入院患者への慰問が行われた[6]
  • 1957年(昭和32年)1月1日 - 大成村と合併して国府町が発足。同日宇倍野村廃止[7]

行政

役場

1911年(明治44年)に役場位置の決定で村議会と村民との間で再分離にも及びかねない紛議が起こった。その後、各地区の代表者の話し合いにより町屋橋のたもとの民家を買収して役場とすることで決着した(後の国府町役場付近)[1]

村長

さらに見る 氏名, 就任年月日 ...
氏名就任年月日退任年月日出身備考
米谷仁左衛門1907年(明治40年)7月4日1909年(明治42年)10月26日中郷前国府村長
後に鳥取県会議員となる
谷口竹次郎1909年(明治42年)11月6日1910年(明治43年)8月29日高岡元法美村長
前田牧蔵1910年(明治43年)9月15日1911年(明治44年)9月19日上麻生元法美村長
谷口藤樹1911年(明治44年)9月24日1911年(明治44年)9月30日高岡元法美村長
谷口竹次郎1911年(明治44年)12月28日1914年(大正3年)12月21日高岡
前田牧蔵1914年(大正3年)12月25日1918年(大正7年)12月25日上麻生
前田牧蔵1918年(大正7年)12月25日1919年(大正8年)8月15日上麻生
前田牧蔵1919年(大正8年)10月12日1923年(大正12年)10月11日上麻生
前田元吉1923年(大正12年)10月1927年(昭和2年)10月14日神垣
定久国蔵1927年(昭和2年)10月15日1931年(昭和6年)10月15日玉鉾元御陵村長
上山忠如1931年(昭和6年)11月1日1935年(昭和10年)10月31日宮下
井上佐太郎1935年(昭和10年)11月1日不詳美歎
前田節男1939年(昭和14年)11月1日1941年(昭和16年)4月18日神垣
田邉健太郎1941年(昭和16年)4月25日1945年(昭和20年)4月24日上麻生合併後国府町長に就任
林田守親1945年(昭和20年)5月1日1946年(昭和21年)11月23日岡益
西垣甚吉1946年(昭和21年)11月24日1947年(昭和22年)4月9日助役・村長職務代理者
村田節美1947年(昭和22年)4月10日1948年(昭和23年)9月13日宮下
桒原英雄1948年(昭和23年)10月25日1952年(昭和27年)10月17日町屋
桒原英雄1952年(昭和27年)10月18日1956年(昭和31年)10月17日町屋後に国府町長に就任
参考文献 - [1]
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教育

交通

主要施設

旧跡

出身者

脚注

関連項目

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