文政4年(1821年)美濃大垣藩医・本草学者の飯沼慾斎の三男として誕生。年若くして朱子学者・安積艮斎の門下に入り、坪井信道に蘭学を学ぶ[2]。19歳の時に、跡継ぎのいなかった津山藩医・蘭学者の宇田川榕菴の養子となる[1]。
明治5年(1872年)には、幕末から住んでいた津山より一家まとめて上京し、蛎殻町三丁目にあった旧藩主松平家の邸内に住んだ。漢学の方でも日本有数の大家だった上に、書を能くし、和歌にも秀で、謡曲、囲碁といった趣味も、素人の域を抜いていたという。
明治20年(1887年)65歳で死去。墓所は泰安寺(岡山県津山市)。