安倍治夫
From Wikipedia, the free encyclopedia
1920年4月2日生まれ[1]。北海道根室市出身[1]。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、同年9月、海軍経理学校に入学し、1944年3月に卒業して海軍主計中尉に任官[2]。1945年3月、海軍主計大尉に昇進して終戦を迎えた[2]。
1949年に東京大学法学部政治学科を卒業[3]。
1951年に札幌地検検事となり、その後東京地方検察庁・法務省刑事局・福岡高等検察庁で検事職に従事した[1][3]。この間に法務総合研究所教授・国連アジア極東犯罪防止研修所教授も務めた[3]。ハーバード大学に留学して刑事学を専攻し、1953年に卒業[3]。
1966年、弁護士に転ずる。1970年頃、自動車業界にて欠陥車問題が発覚し安倍は、松田文雄らと『日本自動車ユーザーユニオン』を結成。松田は専務理事、安倍は顧問弁護士として活動し、機関紙『ジャック』を発行し自動車各社の欠陥を指摘し消費者運動の先頭に立った。その中でホンダ・N360の構造的欠陥を指摘し、本田宗一郎を未必の故意による殺人罪で告訴する。しかし1971年11月2日、本田技研工業に対して損害賠償金16億円を要求したとして松田とともに恐喝未遂罪で逮捕される(ユーザーユニオン事件)[4]。1977年8月、1審の東京地方裁判所は懲役2年の実刑判決を言い渡すが、1986年2月の東京高等裁判所での2審では執行猶予付き判決が下る。その後1987年1月に最高裁判所にて執行猶予判決が確定しこの時点で弁護士資格を失うが、昭和天皇崩御にともなう1990年の恩赦により再び弁護士資格を得る[3]。1991年4月22日、袴田巌死刑囚の再審請求の弁護人に選ばれる[5]。