安倍真直
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左京出身。元は阿倍小殿朝臣姓を名乗っていたが、延暦25年(806年)に同族の真出と共に安倍朝臣姓に改姓する(この時の位階は正七位上)。
大同3年(808年)平城天皇の勅命を受けて侍医・出雲広貞と共に医学書『大同類聚方』100巻を撰述した[2]。ただし、当時の真直の官職は衛門佐兼左大舎人助であり、その後も医学に関わる官職に任じられた記録が無いため、真直がなぜ医学書編纂に関与したのかは明らかでない。その後平城朝において、右大舎人助・右衛士佐・少納言・左近衛少将を歴任し、大同4年(809年)従五位上に昇叙された。
嵯峨朝の弘仁2年(811年)周防守に任じられ地方官に転ずるが、まもなく主殿頭兼豊後守と再び京官を務めた。その後、弘仁3年(812年)権左少弁、弘仁6年(815年)左少弁と弁官を歴任し、弘仁11年(820年)正五位下に至っている。