安太妃

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安太妃(あんたいひ、888年 - 949年)は、後晋の少帝石重貴の母。代北の出身[1][2]本貫太原府

石敬瑭の兄の石敬儒の妻となり、石重貴を生み、秦国夫人に封じられた[2]天福8年(943年)9月、皇太妃に立てられた[3]。のちに老いて失明した。開運4年(947年)3月、少帝とともにの黄龍府に連行された。天禄2年(948年)2月、少帝や李太后とともに遼陽府から建州に移された。天禄3年(949年)4月16日、死去した。享年は62。「私を焼き尽くして灰にし、南に向けて漂わせ、願わくば魂だけでも中国に帰りたい」と遺言した。砂漠の中で草木がなかったため、車を壊して遺体を焼いた。のちに李太后とともに建州に葬られた[1][2]

脚注

伝記資料

参考文献

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