石敬瑭の兄の石敬儒の妻となり、石重貴を生み、秦国夫人に封じられた。天福8年(943年)9月、皇太妃に立てられた。のちに老いて失明した。開運4年(947年)3月、少帝とともに遼の黄龍府に連行された。天禄2年(948年)2月、少帝や李太后とともに遼陽府から建州に移された。天禄3年(949年)4月16日、死去した。享年は62。「私を焼き尽くして灰にし、南に向けて漂わせ、願わくば魂だけでも中国に帰りたい」と遺言した。砂漠の中で草木がなかったため、車を壊して遺体を焼いた。のちに李太后とともに建州に葬られた。