安子島祐高 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 安土桃山時代生誕 不明死没 不明官位 治部大輔(受領名) 凡例安子島祐高時代 安土桃山時代生誕 不明死没 不明官位 治部大輔(受領名)主君 蘆名義広氏族 安子島氏父母 安子島右衛門大夫テンプレートを表示 安子島 祐高(あこがしま すけたか)は、安土桃山時代の武将。陸奥国安積郡安子島城主。 安子島氏は藤原南家の流れを汲む安積伊東氏の庶流。 安子島氏は安積伊東氏の一門にして有力な庶家であったが、戦国時代に奥州管領二本松氏に随身し、祐高の父・右衛門大夫の代までその傘下にあった[1] [2]。 天正14年(1586年)8月二本松義綱が二本松城から退去すると、伊達政宗に降って所領を安堵されて[3][4]、 田村家に付属されたが[5]、天正16年2月同じく伊達家に降っていた高玉常頼、荒井政頼と共に大内定綱の挙兵に呼応して離反。 蘆名家に従属した[6]。 その後、伊達氏が南奥州の覇権をかけて会津の黒川城主・蘆名義広と合戦に及ぶと、安積郡の諸勢力の悉くが伊達方に与する中で高玉・荒井氏と共に蘆名方に留まった[7]。 祐高は籠城して伊達方に抗戦の構えを見せるが、圧倒的な兵力差の前に伊達成実の許へ使者を送って[7] 降伏し、城兵の助命を引き換えに退去[8]。 会津に落ち延びたという。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 三春町史 1978, p. 496. ↑ 『仙道記』には、右衛門大夫は田村家に属していたが、蘆名盛氏に攻められて降伏、傘下となったとある。 ↑ 本宮町史 1999, p. 573. ↑ 『二本松配分之日記』に安子島治部大輔の名前が見える。 ↑ (天正16年)2月14日黒中(黒木宗元)宛伊達政宗書簡 ↑ 『伊達治家記録』 天正16年2月12日。 1 2 『仙道記』 ↑ 太田亮編『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店、1963年) P.63、宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年) P.440. 参考文献 本宮市史編纂委員会 編『本宮町史4 資料編1 考古・古代・中世』本宮町、1999年。 三春町 編『三春町史 第7巻 資料編1 自然・原始・古代・中世資料』三春町、1978年。 太田亮編『姓氏家系大辞典第1巻』(角川書店、1963年) 宮城県姓氏家系大辞典編纂委員会編『宮城県姓氏家系大辞典』(角川書店、1996年) Related Articles