安審通

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安 審通(あん しんつう、生年不詳 - 928年)は、五代十国時代軍人沙陀部の出身[1]

経歴

安金全の兄の安金祐の子として生まれた。幼くして晋王李存勗に仕えた。戦功を重ねて、先鋒指揮使に転じた。同光元年(923年)、北都右廂馬軍都指揮使となり、清苑県に駐屯した。同光4年(926年)春、李嗣源のもとに赴き、軍を胙城県に進め、先鋒をつとめた。天成元年(同年)、単州刺史に任じられ、斉州防禦使に転じ、諸道馬軍都指揮使を兼ねた。天成2年(927年)、明宗(李嗣源)の命を受けて北征し、房知温に従って蘆台に宿営した。蘆台の兵が反乱を起こすと、審通は単身脱出し、騎兵を集めて反乱軍を討ち、殲滅した。功績により検校太傅・滄州節度使に任じられた[2]。天成3年(928年)4月、北面行営招討副使となり、諸道馬軍都指揮使を兼ねた[3]。7月[4]王都定州で包囲し、飛石に当たって戦没した。太尉の位を追贈された[2]

脚注

伝記資料

参考文献

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