安斎育郎
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- 東京生まれ。
- 1953年 江東区立平久小学校卒業。
- 1956年 江東区立深川第三中学校卒業。
- 1959年 東京都立両国高等学校卒業。
- 1964年 東京大学工学部原子力工学科卒業。
- 1969年 同大学大学院工学系研究科原子力工学専門課程博士課程修了、工学博士(学位論文「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」)。
- 1964年4月〜1986年3月 東大医学部・放射線健康管理学助手。
- 1985年 第13回国際生化学会議に「核戦争の長期的生物学的影響」パネル・ディスカッションに参加。
- 1986年 立命館大学経済学部教授。「核実験停止を求める国際科学者フォーラム」に招待される。
- 1987年 ジュネーブの欧州国連本部で講演。
- 1988年 立命館大学国際関係学部教授。
- 2007年 京都造形芸術大学非常勤講師として平和学を担当。
- 2011年 立命館大学定年退任、名誉教授。
人物
放射線防護学・平和学
- 長年国の原子力・核政策を激しく批判してきたことで知られている。そのために、現在でも原子力発電所を学生連れで見学しようとすると断られたりしている[1]。安斎は60年に創設された東大原子力工学科の1期生であったが72年の日本学術会議のシンポジウムで国の原子力行政に批判的な基調講演を行うなど東大にあって異説の言説を展開してきた。このため原子力工学科を追われ、助手として拾われた東大医学部でも執拗な嫌がらせを受けたという。「研究室では安斎と口をきくなと通達が出され、他大学の共同研究者が打ち合わせに来ると、同僚の助手が勝手に入るなと追い払う、隣の席には東京電力の社員が貼り付いていて、私がどんな活動をしているか、どんな電話がかかってきたかを、逐一会社に報告していた」という。また75年の原子力工学科設立15周年パーティでは「安斎育郎を排出したことだけは汚点」とわざわざ言及されたという[2]。
- 原子力エネルギーは現状の科学技術などに鑑みると管理するのが困難であるとし、原発・核兵器への反対活動を行う(東海村臨界事故の調査活動や反核運動・平和運動など)。「九条科学者の会」呼びかけ人を務めている[3]。
疑似科学・オカルト現象
- 活動の一環として「超能力を科学する」「人間がなぜだまされるのか」の演題で、年数十回の全国講演や著書執筆を行う他、頻繁にメディア出演[4]。
- 安斎自身は「世の中にはまだ科学でもわからない事がたくさんあり、急いで決めずに調べていけばよい」「科学のなすべき役割と宗教の役割は別。それぞれにそれぞれの持分がある(ただ、お互いに侵してはいけない領域もある)」という柔軟な姿勢をとっている。著書の中では、「自分は科学で全てが解決できると考えるほど頑迷な人物ではない」と自身を評している[5]。
- 東大時代に奇術愛好会の会長を務めるなどマジックが趣味であり[6]、超能力批判に活用している。