安楽寺城
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築城の意図
『源平盛衰記』には倶利伽羅峠の戦いの折、余田次郎ら3000騎が安楽寺から金峯坂を上り北黒坂(倶利伽羅峠を別名「礪波山」または「黒坂」と呼び、その東麓)へ向かわせたという記述(『平家物語』では北黒坂方面の大将は巴御前で、1000騎を率いて安楽寺を越えて弥勒山へ押し寄せて、となっている)がある。この倶利伽羅〜安楽寺〜今石動へと続く道を「北黒坂道」と呼ぶが、その他にも西に加賀国九折へ、また北西には加賀国莇谷〜鳥越城(石川県津幡町七黒にあった城で、石川県白山市三坂町にあった鳥越城とは別)へと続く国境越えの道筋があり、安楽寺が当時の交通の要衝であったことを窺わせる。城はこれらの道筋を押さえる目的で築かれたと考えられる。
