安武氏
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概要
『海津城主由来』によると、「河内国大掛郡」を知行していた茨阿波守菅原朝臣鑑政が、永正5年(1508年)に25歳にて筑後国安武の海津城に入部し安武を号したとされ、安武鑑政の代より歴史に名をあらわしている。鑑政と鑑教は同一人物と考えられ、安武氏の始祖とされる。
安武氏は大友の配下で、筑後国三潴郡[1]のうち二百町を領していた。鑑政から鎮政、政勝と続き、永禄7年(1564年)、大友義鎮が下田城を攻めた際、犬塚、西牟田、蒲池等とともに安武氏も参陣している。
しかし、天正4年(1576年)[1]、城主安武式部少輔鎮教の時、横岳頼次を将とする肥前の龍造寺氏勢により攻められ海津城は落城した[2]。安武政勝は八女の黒木に逃れた[1]。