安藤則命
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薩摩国鹿児島城下で薩摩藩士・安藤十郎の息子として生まれる[5]。英学を修めて子弟に教授した[5]。
明治維新後、新政府に出仕し、明治元年10月2日(1868年11月15日)東京府市中取締隊長に就任[6]。以後、東京府監察、同大属、兼同第二大区総長、同第一大区総長、同権典事、同典事、同邏卒総長、警保助、司法中検事、権大警視、大警視、中警視、権中警視などを歴任[6]。西南戦争に際し、新撰旅団の編成に尽力した[5][6]。1879年、藤田組贋札事件を担当したが、積極的な捜査を行おうとして当局の忌避に触れ、同年12月27日、免本官、位記返上を命ぜられた[2][5][6]。
1882年6月21日、司法大書記官として復帰[6]。以後、第十局副長、検察局詰などを務めた[6]。1884年12月4日、元老院議官に就任[6]。1890年9月29日、貴族院勅選議員に任じられ[7]、同年10月20日、元老院が廃止され非職となり錦鶏間祗候を仰せ付けられた[6]。1909年11月、貴族院議員在任中に病のため薨去した[5][6]。墓所は青山霊園で、管理事務所の裏にある。