安食西
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小字
小字は以下の通り[5]。
- 中溝(なかみぞ)(五反田、中溝)
- 深池(ふかいけ)(深池、堂ノ園)
- 上ノ沢(かみのさわ)(高園、上ノ沢)
- 宮ノ東(みやのひがし)(宮ケトラ、宮ノ東)
- 川尻(かわしり)(西浦、川尻、壱本杉)
- 久保(くぼ)
- 北カナヅラ(きたかなづら)
- カナツラ(かなつら)
- 南カナツラ(みなみかなつら)
- 鳥居頭(とりいかしら)
- 北ノ橋(きたのはし)
- ヲクノヤ(をくのや)
- 市口(いちくち)
- 長畠(ながはたけ)
- 高道(たかみち)
- ガラガラ(がらがら)
- 下ガラガラ(しもがらがら)
- 塚越(つかこし)
- 安食(あんじき)
- 大ゴボ(おおごぼ)
- 宮ノ前(みやのまえ)
- 寺屋敷(てらやしき)
- 小林(こはやし)
- 上野(うへの)
- 本田(ほんた)
- 御所ノ沢(ごしょのさわ)
- 岡山(をかやま)
- 岡ノ西(おかのにし)
- 岡ノ南(おかのみなみ)
- 岡ノ東(おかのひがし)
- 堂尻(とをしり)
- 留主沢(るすさわ)
- ムナタカ(むなたか)
- 下坂詰(しもさかつめ)
- 横坂詰(よこさかつめ)
- 大成(ををなり)
- 樋越(ひこへ)
- 西出(にしで)
- 北出(きたで)
- 南出(みなみで)
歴史
江戸期は安食西村であり、犬上郡のうち。彦根藩領。検地は慶長7年。村高1,168石余(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳・旧高旧領)で、幕末まで変わらず。水利が悪くしばしば旱害にあった。神社は阿自岐神社、「延暦式神名帳」に「犬上郡七座のうち阿自岐二座」ある古社で、安食荘内の産土神。阿自岐池は神社范池の「泮池」の例として古く、県名勝である。寺院に、真宗本願寺派安正寺・覚浄寺があった。覚浄寺は安食7郷の氏寺として照明寺といったが、文明7年に改宗、寺号を改称した。明治5年滋賀県に所属。翌6年、村内で最初の達務学校設立、同19年簡易科安食小学校となる。明治13年頃の戸数83・人口400、田63町9反・畑6町1反、米産1,354石・瓦320坪・製茶250斤、商6戸は他国行商(物産誌)。同22年犬上郡安永村の大字となる[6]。
年表
世帯数と人口
2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口(国勢調査調べ)は以下の通りである[2]。
| 大字 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 安食西 | 114世帯 | 335人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
| 1995年(平成7年) | 552人 | [7] | |
| 2000年(平成12年) | 495人 | [8] | |
| 2005年(平成17年) | 495人 | [9] | |
| 2010年(平成22年) | 376人 | [10] | |
| 2015年(平成27年) | 335人 | [2] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
| 1995年(平成7年) | 156世帯 | [7] | |
| 2000年(平成12年) | 146世帯 | [8] | |
| 2005年(平成17年) | 146世帯 | [9] | |
| 2010年(平成22年) | 133世帯 | [10] | |
| 2015年(平成27年) | 114世帯 | [2] |
小・中学校の学区
施設
- 安食西公民館
- アキレス滋賀第二工場
- 覚浄寺
- 安正寺
- 阿自岐神社