安齋省吾
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越谷市の紹介記事によれば、小学5年生のとき、近所に住んでいた宮内庁楽部の事務官との縁で雅楽に接し、中学1年生から宮内庁で雅楽を学び始めた。中学3年生のころには雅楽の道に進むことを決め、昼に雅楽を学びながら夜は定時制高校に通ったという。楽生として9年間の修練を経て楽師となり、その後40年以上にわたり国内外の式典や催しで雅楽を演奏した。担当分野は、管では龍笛、舞では左舞であった[3]。
宮内庁式部職楽部での活動
埼玉県の受賞者情報によれば、安齋は宮内庁式部職楽部において首席楽長を平成21年(2009年)4月から平成25年(2013年)3月まで務めた。在職中には、国内外の演奏会や宮中祭祀において雅楽および洋楽の演奏を行い、海外公演でも高い評価を得たとされる[4]。
文化デジタルライブラリーには、安斎省吾名義で多数の出演記録が残されている。確認できる範囲では、昭和44年(1969年)の第7回雅楽公演で鉦皷、昭和45年(1970年)の第9回雅楽公演で高麗笛と鉦皷、昭和46年(1971年)の第10回雅楽公演で笛および左方の鉦皷、昭和48年(1973年)の第14回雅楽公演で笛と鉦鼓を担当している。これらの記録は、安齋が早い時期から笛だけでなく打楽器や舞楽にも関わっていたことを示している[5]。
また、2015年1月に国立劇場伝統芸能情報館で行われた「あぜくらの集い」では、豊英秋・大窪永夫とともに、かつて宮内庁式部職楽部首席楽長を務めた人物として招かれ、双調・黄鐘調や雅楽器について実演を交えて解説した[6]。