学生時代は野球の名目である沖岩中学校高等学校でプレーしており、当時は同校野球部の全盛期だった。当時のチームメイトには沈哉学などがいた[1]。
当時から青少年代表代表として活躍し、ニカラグアの世界選手権で銀メダルを獲得した[1]。
1995年に斗山ベアーズのドラフト1位で入団した。
陳弼重とともに新人時代から一軍に抜擢され、リリーフ投手として活躍[2]。
しかし絶頂の瞬間は短く、学生時代の酷使が原因となった肘の負傷でわずか2年で引退しなければならなかった。当時の金寅植監督からは「自己管理に失敗した選手」と評されたという。
引退後にはチームを去り、兵役遂行のため入隊。
除隊後にはプロゴルファーに転身。2008年にはゴルフの指導資格も取得した。