天宝年間初期、宋渾の次兄の宋昇は太僕少卿に、兄の宋尚は漢東郡太守に就任した。
また、弟の宋恕は、都官郎中、剣南採訪判官となり、権勢を傘にして、はなはだ貪暴であった。剣南にいる時に、雒県県令崔珪の妻が美貌なので奪い、崔珪を左遷させた。また、李晏という刺客を養っていたという。宋渾とともに、収賄で訴えられ、海康郡に流された。宋尚も同じく、贈賄で臨海長史に左遷させられた。その下の弟の宋華と宋衡も収賄の罪で流された。
兄弟ともに飲酒と諧謔を好み、俳優と戯れてばかりいた。その中でも、宋衡が最も乱暴であったといわれる。