宋渾

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宋 渾(そう こん、生没年不詳)は、中国唐代玄宗朝の政治家。名宰相と言われた宋璟の子。

李林甫と仲が良く、諫議大夫平原郡太守、御史中丞、東京採訪使を歴任した。平原では激しい収斂を行った。また、東方に使わされた時、薛稷の従孫娘の鄭氏が未亡人で美貌であると聞き、河南尉の楊朝宗に奪い取らせ、献上させた。

天宝9載(750年)に、楊国忠の画策で、収賄の罪で嶺南高要郡に配流させられた[1]

この時、顔真卿が彼を弁護し、左遷させられている。一度は恩赦にあったが、横暴を極め、訴えられ、潯江郡に流された。

広徳年間に、彼を太子諭徳に取り立てようという話があった。しかし、貪欲ぶりが物議をかもし、起用されることなく、その地で死んだ。

兄弟たち

脚注

伝記資料

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