宝勝寺 (群馬県甘楽町)
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位置
北緯36度15分16.7秒 東経138度56分56.8秒 / 北緯36.254639度 東経138.949111度座標: 北緯36度15分16.7秒 東経138度56分56.8秒 / 北緯36.254639度 東経138.949111度
山号
歓喜山[1]
宗旨
真言宗
| 宝勝寺 | |
|---|---|
| 所在地 | 群馬県甘楽郡甘楽町大字金井375-1 |
| 位置 | 北緯36度15分16.7秒 東経138度56分56.8秒 / 北緯36.254639度 東経138.949111度座標: 北緯36度15分16.7秒 東経138度56分56.8秒 / 北緯36.254639度 東経138.949111度 |
| 山号 | 歓喜山[1] |
| 宗旨 | 真言宗 |
| 寺格 | 単立寺院 |
| 本尊 | 大日如来 |
| 創建年 | 弘長年間(1261年 - 1263年)[1] |
| 開基 | 紀藤権守[1] |
| 中興年 | 永正年間(1504年 - 1521年)[1] |
| 中興 | 13世元祐[1] |
| 文化財 | 「宝勝寺起立文書」[2][1]、宝篋印塔(応永8年(1401年)[1])など |
| 法人番号 | 9070005003677 |
宝勝寺(ほうしょうじ)は群馬県甘楽町にある仏教寺院。境内には鎌倉時代や南北朝時代の石造遺物を有し、甘楽町の重要文化財に指定されている[3]。
創建
文政年間(1818年 - 1831年)の史料などによれば、寺のルーツは弘長年間(1261年 - 1263年)に遡る。至徳元年(1384年)には、多野郡(高崎市吉井町)奥平の奥平氏の勧請により、京都の仁和寺の僧、元隃を招聘した。このときに寺は鏑川右岸の奥平へ移り、「大導坊地蔵院悲願山宝勝寺」と号したという[1]。
その後、寺は永正年間(1504年 - 1521年)に中興され、鏑川左岸の現在地(甘楽郡)へ移転した[1]。史料によれば、多野郡・甘楽郡一円に13の末寺を有していた[1]。
江戸時代
戦国時代に一帯を支配した小幡氏[注 1]や、戦国時代末期に一帯を授けられた奥平信昌(徳川家康の娘婿)は宝勝寺を祈願所とした。江戸時代に甘楽郡に小幡藩がおかれ、織田信長の孫にあたる織田信良が藩主となると、その後の歴代の織田氏藩主も宝勝寺を祈願所と定め、寺社領(朱印地)6石を与えている[1]。
江戸時代中期に織田氏が転封になり、奥平松平氏(松平忠尚系)が小幡藩主になった。転封後2代目にあたる松平忠福は、寛政4年(1792年)に山号を「歓喜山」に改めた[1]。文化11年(1814年)の伊能忠敬による測量にも「御朱印六石真言宗歓喜山宝勝寺 阿弥陀如来」と記録されている[1]。
寺は歴代の小幡藩の重臣たちの菩提寺ともなっている[1]。
近代以降
1907年(明治40年)に真言宗の宝常院を併合した[5]。

