宝泉寺 (津島市)
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位置
北緯35度10分39.9秒 東経136度43分35.5秒 / 北緯35.177750度 東経136.726528度座標: 北緯35度10分39.9秒 東経136度43分35.5秒 / 北緯35.177750度 東経136.726528度
山号
飛龍山
宗旨
浄土宗
| 宝泉寺 | |
|---|---|
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| 所在地 | 愛知県津島市池麩町2 |
| 位置 | 北緯35度10分39.9秒 東経136度43分35.5秒 / 北緯35.177750度 東経136.726528度座標: 北緯35度10分39.9秒 東経136度43分35.5秒 / 北緯35.177750度 東経136.726528度 |
| 山号 | 飛龍山 |
| 宗旨 | 浄土宗 |
| 宗派 | 西山禅林寺派 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 創建年 | 天文年間(1532年~1555年) |
| 札所等 | 法然上人尾張二十五霊場(第4番) |
| 文化財 | 寳泉寺書院(旧服部家住宅書院)(国登録) |
| 法人番号 | 6180005012959 |
宝泉寺(ほうせんじ、寳泉寺)は、愛知県津島市池麩町2にある浄土宗西山禅林寺派の寺院。山号は飛龍山。本尊は阿弥陀如来。禅林寺の末寺[1]。
所在地の池麩町は池之堂と麩屋町を合わせた合成地名である。池之堂という地名は、弁天池が境内にあったことに由来する。寳泉寺書院(旧服部家住宅書院)が登録有形文化財[2]。法然上人尾張二十五霊場第4番札所。
創建
寺伝によると天文年間(1532年~1555年)に喜叟玄悦上人を開山として開創されたと伝わる[3]。永正年間(1504年~1521年)の開創とする説もある[3]。
近代
1891年(明治24年)10月28日の濃尾地震では津島・海部地域も大きな被害を受けた[4]。宝泉寺でも本堂などが半壊したが、1892年(明治25年)に仮本堂が、1893年(明治26年)に山門と庫裏が再建された[4]。1911年(明治44年)には鐘楼が建てられ、1929年(昭和4年)には地蔵堂と弁財天堂が建てられた[4]。
1930年(昭和5年)、宝泉寺の檀家総代である肥料商「笹秀」の5代目服部秀助は、服部家の書院を寄進して宝泉寺に移築された[4]。この書院は濃尾地震直後に建てられたものとされている[4]。
現代
仮本堂は耐震強度不足や老朽化という問題を抱えていたことから、創建500年を記念して本堂を建て替え、2022年(令和4年)4月9日に新本堂の落慶法要を行った[5]。
境内
文化財

登録有形文化財
- 寳泉寺書院(旧服部家住宅書院)
- 入母屋造、桟瓦葺[2]。建築面積101平方メートル[2]。桁行15メートル、梁間6.1メートル[2]。境内北東隅にあり、廊下で本堂や庫裏と接続している[2]。座敷、次の間、茶室の3室が東西に並ぶ数寄屋風書院である[2]。
- 1891年(明治24年)の濃尾地震後[4]、現在の津島市本町4丁目に服部家書院として竣工した[6]。1929年(昭和4年)、服部秀助によって宝泉寺に移築された[6]。その後、服部秀助は松尾流第10代松尾宗吾 不染斎の指導を受け、服部家に同形式の書院「清風」を建てている[6][7]。2008年(平成20年)10月23日、登録有形文化財に登録された[2]。登録基準は「造形の規範となっているもの」[4]。