室住虎登
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武田氏の譜代家臣・親族衆である板垣信方の弟で、前名は板垣直方。室住虎光の養子となり「室住虎登」と名乗る。姓は諸角(両角)とする記録も多いが、現在では同時代の史料に見られる「室住」が採用されている。養父の諱に関しても虎定あるいは昌清とする説もあるが、確実な同時代文書の『安道寺文書』によれば「虎光」とされる
実兄・板垣信方を補佐し、上原城留守居役、信濃国柏鉢城主を務めた。
1561年10月18日(永禄4年9月10日)養父・室住虎光が死去し、その跡式を継ぐが、虎登も3年後の1564年(同7年)死去した。虎登の跡式は子の室住昌守(助五郎)が継いだが、昌守は元亀元年(1570年)、原甚四郎(原虎胤の子)と争いによって改易された。以後、室住氏の名は史料には見られなくなる。