板垣信泰 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 不明[1]死没 不明[1]官位 右兵衛尉[2] 凡例板垣信泰時代 戦国時代生誕 不明[1]死没 不明[1]官位 右兵衛尉[2]幕府 室町幕府主君 武田信虎氏族 板垣氏父母 父:板垣信能(善満坊)兄弟 信為?、信泰子 信方?、室住虎登?テンプレートを表示 板垣 信泰(いたがき のぶやす)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。 武田信玄の傅役で、『甲陽軍鑑』に拠れば武田家の「両職」を務めたという板垣信方の父とされるが、異説も存在する[2][1]。『武田御日坏帳 二番』によれば、信方は天文14年(1545年)5月20日に高野山成慶院で「積翁浄善禅定門」の追善供養を行っており、これが信泰にあたるとも考えられている[3]。 信泰は於曽郷(山梨県甲州市塩山下於曽)を本拠とし、大永3年(1523年)閏年3月4日に生母「苗庵理根禅定尼」の逆修供養を高野山引導院で行なっている[2][1]。「向嶽寺文書」によれば、大永5年(1525年)2月25日、向嶽寺(甲州市塩山上於曽)明白軒に湯薬種田を寄進した[2][1]。年未詳3月20日にも同じく明白軒に「御きたさま」の代理として向嶽寺開祖の抜隊得勝へ寺領を寄進している[1]。この「御きたさま」は武田信虎正室の大井夫人を指すとする説がある[2]。 脚注 1 2 3 4 5 6 丸島 2015, p. 85. 1 2 3 4 5 柴辻 2007, p. 191. ↑ 丸島 2015, p. 86. 参考文献 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年。ISBN 978-4-404-03423-6。 丸島和洋 著「板垣信泰」、柴辻俊六; 平山優; 黒田基樹 ほか 編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年。 表話編歴板垣氏当主宗家 ∴板垣兼信?-1190 板垣頼重1190-? 板垣頼兼 板垣行頼 板垣長頼 板垣頼房 板垣信房 板垣兼光 板垣信将 板垣信国 板垣信鑑 板垣信能?-1490 板垣信為1490-1515 板垣信泰1515-1530 板垣信方1530-1548 板垣信憲1548-1557 板垣信安1558-1579 板垣修理亮1579-1600 板垣半右衛門1605-? 板垣平右衛門 板垣知貞1651-1704 板垣信精1704 板垣久五左衛門1704-? 板垣知素 板垣信房 板垣致知 分家・支流 信憲流 板垣信憲1557-1557 板垣正信1557-1608 乾正行1608-1649 乾正祐1649-1672 乾正方1673-1715 乾正清1715-1736 乾直建1736-1760 乾正聰1760-1805 乾信武1805-1810 乾正成1810-1860 板垣退助1860-1919 板垣守正1919-1926 板垣正貫1926-1942 板垣退太郎1942- 守正流 (正貫兄)板垣守正1926-1951 板垣正明1951-2023 正直流 (正祐弟)板垣正直1644-1688 乾正房1689-1721 乾吉勝1722-1747 乾正英1747-1786 乾正壽1786-1829 乾正春1829-1830 乾正厚1831-1869 乾正士1869-1941 乾一郎1941-2000 高岡真理子2000- 友正流 (正祐弟)乾友正1648-1689 (208年間断絶した家を絶家再興) 乾六一1898-1903 (乾姓を絶家して板垣に復姓)無嗣断絶 土佐流 板垣喜右衛門1602-1631 板垣喜右衛門1631-1674 板垣喜右衛門1674-1738 板垣只平1738-1741 板垣宇助1741-1773 板垣喜助1773-1815 板垣惇平1815-1857 板垣堅助1857-1859 (弟)板垣高幸1859-1885 板垣四十六郎1885-1945 伴内流 板垣伴内 板垣伴内 板垣甚内 板垣政次 佐々木政清 (弟)佐々木権右衛門 佐々木権右衛門 (養子)佐々木権右衛門 (養子)佐々木登政 板垣政純 板垣政徳 板垣政一 板垣賛造 板垣進吾 女子 征四郎流 (政一弟)板垣征四郎 板垣正 Related Articles