宥勝寺
埼玉県本庄市栗崎にある真言宗智山派の寺院
From Wikipedia, the free encyclopedia
歴史
寺伝によると建仁2年(1202)有荘氏(後に本庄氏)により開創された。始め有道宿弥武承惟行五世の孫児玉党旗頭、有荘太郎家長の嫡子小太郎頼家が寿永3年(1184)一の谷の合戦で戦死したので、その妻が菩提を弔うため法印良運を京より迎え一寺を建立、有荘寺と号し自らも得度して妙清禅尼となった。
これより前、有道惟行は沙門空海巡礼の地、浅見山に一寺を建て阿弥陀如来を安置し西光寺と称していた。 延年2年(1337)新田足利の兵火で焼失、天文6年(1538)北条、上杉の戦国兵乱の時無住になった。 荒廃するを惜しみ紀州根来寺より僧頼暁来り、天文24年(1556)西光、有荘の両寺を合併して一寺となし、西光山無量寿院宥勝寺と改称された。 爾来、末寺四十数ケ寺を有する地方有数の名刹となり、慶安元年(1648)良弁僧都の時、徳川家よりご朱印十石を賜る。
文化財
墓所
- 廣松渉(哲学者、東京大学名誉教授)