宮内鎮雄
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みやうち しずお 宮内 鎮雄 | |
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| プロフィール | |
| 愛称 | 万年ヒッピー |
| 出身地 |
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| 国籍 |
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| 生年月日 | 1945年1月24日 |
| 没年月日 | 2022年1月14日(76歳没) |
| 血液型 | O型 |
| 最終学歴 | 国際基督教大学人文科学科 |
| 職歴 | 元TBSアナウンサー |
| 活動期間 | 1967年 - 2022年 |
| 出演番組・活動 | |
| 出演経歴 | パックインミュージック |
宮内 鎮雄(みやうち しずお、1945年1月24日 - 2022年1月14日)は、日本のアナウンサー、ナレーター。
東京都出身[1]。武蔵中学校・高等学校卒業[2]、国際基督教大学人文科学科卒業[1]。血液型O型[1]。若手時代から晩年に至るまで長髪・髭とアナウンサーとしては型破りのスタイルを貫き[2]、社内でもTシャツ姿など、奇抜な格好でも知られる[3]。趣味は映画鑑賞。コアなMacユーザーである。
1967年4月、TBSへアナウンサー12期生として入社(同期には青木靖雄、石森勝之、小口勝彦、河野通太郎、久米宏、林美雄、米沢光規)[4][5]。川戸恵子はアナウンサーの1年先輩にあたる。11月15日、アナウンサー研修室設置にともないアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に[6]。1969年秋、『パックインミュージック』(TBSラジオ)第2部を担当。1973年、当時のTBSと提携していたイギリスのBBCに派遣されて3年間日本語放送のアナウンスを担当。2001年、TBS分社後のTBSラジオの第一声を担当。
2005年1月、TBSを定年退職[2]。TBSアナウンサーとして最後の仕事は、TBSラジオの『月曜JUNK 伊集院光 深夜の馬鹿力』での面白ナレーションだった。2月よりフリーアナウンサーとして活動、TBS『ダイヤモンドシアター』の冒頭新作映画紹介コーナーのナレーションを担当。一部ラジオ番組では社員当時のタイトルコールが引き続き使用されていた。また、TBSアナウンススクールで後進の指導に当っていた。
人物
中学・高校とポップスが好きで、FENや糸居五郎といったDJに憧れていたが、DJの採用がなくディレクター志望だった。TBS入社時から一貫して音楽番組を担当したが、演歌が大嫌いで、歌謡曲番組を担当させられたのが一番嫌だったというほど。「会社員になるというのは、自分の時間を売ることですが、好き嫌いの立場ははっきりさせたい、と思ってきました。僕のスタイルを会社が認めてくれたのは、ありがたかった」と、特に洋楽にこだわり[2]、さらに洋楽でも「みんながやる。どの番組でもやりたがる」という理由でビートルズとサイモン&ガーファンクルを大々的に扱うことはなかった[8]。同社在籍時は外信部に足しげく通い、欧米の通信社が配信する音楽・映画などのエンターテイメント情報を独自に収集し、番組作りに役立てていた。『パック・イン・ミュージック』担当時にはAP通信が配信したビルボードのチャート情報をいち早く紹介した。また欧米のミュージシャンや俳優が来日した際は記者会見に必ず出席し、時にはその模様を録音して番組で紹介していた[9]。
ラジオでは月曜JUNK以前のUP'S時代から『伊集院光 深夜の馬鹿力』で、宇野淑子(2002年定年退職)や鈴木順(2013年定年退職)と共に面白ナレーションを務めた。伊集院光は宮内を説明する際に、前述の容姿から「落武者」「時代劇で『私が死んだら影武者を立てろ』と言うタイプ」と称したが、宮内の持つ重量感ある安定した読み方と完璧な英語を大変気に入っていた。番組内で放送されたTBSアナウンサーとして最後の言葉はラジオネーム、「おばあちゃんの本名OK海老沢ミツ」の投稿「デブは喪服もサスペンダー。」であった[10]。
2010年7月9日、枡田絵理奈の公式ブログで食事会に集まったメンバーとして元アナウンス部デスク桜井、加藤シルビアと共に文章で紹介されている。