宮崎守保
日本の政治家
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経歴
馬主活動

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は桃、紫一本輪、黄袖、冠名には「サニー」を用いた。
宮崎家は1948年にオープンした浦和競馬場の地主となっており、守保は、学生時代から近くで飼養される馬を見てきたという。その1頭に1937年に牝馬ながら東京優駿(日本ダービー)を制したヒサトモがいた[1]。繁殖牝馬を引退後に浦和競馬で再び競走馬となり、最期は心臓麻痺によって死亡したヒサトモは、守保がはじめて触れた馬だったという[1]。
その後、40歳の頃に自身も馬主となり、ゴールドスペンサーが1980年、1981年と川崎記念を連覇するなどの活躍を見せた[1]。さらに、自身の所有馬であったサニーロマンの仔のサニースワローは1987年の日本ダービー2着となり、その甥にあたるサニーブライアンは1997年に皐月賞と日本ダービーを優勝しクラシック二冠を達成した。