宮崎富次郎 (二代)
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東京府東京市本所区出身[2]。宮崎製作所元社長・初代宮崎富次郎の長男として生まれる[2][3]。1933年(昭和8年)米沢高等工業学校を卒業後、愛知時計電機に入社[4]。その後、当時宮崎航空工業社長を勤めていた父の死によって社業を継承すべく、22歳の若さで社長のポストに座り、終戦で同社が解散するまで責任を全うした[4]。
その後、その腕を買われて1949年(昭和24年)東洋ラジエーター(現:ティラド)の専務に迎えられ、1957年(昭和32年)4月同社社長に就任[2][4]。
1949年(昭和24年)、三井系炭鉱会社の元重役であった妻・かずゑのおじが退職金がわりに与えられた三井家の別荘を買い取った。同別荘はかつて大磯にあった黒田家邸を和田義盛公別邸跡に移築したもので、現在も元湯・陣屋として営業している[5]。