宮崎隆太郎
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人物
- 障害児教育の先進地といわれる大阪における、共生共育を目指す運動のリーダーの一人[9]。1960年代前半に枚方市の小学校で特殊学級を担任したことから障害児・者と関わり始め[10]、1971年に開設された開成小学校重度障害児学級の学級担任となり、以来、障害児と健常児が普通学級で共に生きる・共に学ぶ教育の実践に取り組む[9]。『学校ぐるみの障害児教育』(1974年)などの著書を出版し、日本の障害児教育に影響を与えた[3]。障害児教育における「共にいること」と「できること・わかること」の対立について、どちらか一つを選ぶのではなく「あれもこれも」必要だとして、普通教育の改革を提起した[11][12]。
- 堀正嗣は、堀智晴の研究や宮崎の授業創造の実践を、共生教育の実践理論構築の取り組みとして注目すべきものだと評した[13]。
著書
単著
- 『親と教師の障害児教育――ひとつの苦言』(ルガール社、1975年)
- 『障害児と地域社会――実践のための障害児福祉』(ルガール社、1976年)
- 『障害児がいて見えてきた――大阪ではこうして受け入れた』(三一書房、1980年)
- 『分解された自閉症児――「治療対象としての自閉症」論の限界』(明治図書出版、1983年)
- 『「障害児」とつきあう感性』(ルガール社、1984年)
- 『障害児の異議申し立て――人と人とのつながりを求めて』(三一書房、1986年)
- 『障害児とともに学ぶ――子どものこころが見えるとき』(三一書房[三一新書]、1991年)
- 『傷つきやすい子どもたち――弱さを認めあう関係』(三一書房、1996年)
- 『増やされる障害児――「LD・ADHDと特別支援教育」の本質』(明石書店、2004年)
編著
- 『学校ぐるみの障害児教育――枚方市立開成小学校の場合』(ミネルヴァ書房[障害児問題叢書]、1974年)
- 『普通学級の中の障害児――知恵おくれ、自閉症児の統合教育の試み』(三一書房、1981年)