宮川宗徳
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官吏時代
市会議員当選後
戦後
宮川は大日本神祇会・神宮奉斎会・皇典講究所の合併による神社本庁設立に貢献し[2]、1946年2月に初代事務総長に就任[2]。同年7月に神社新報社を創業しその社長に就任[2]。
宮川は1946年に公職追放を受け[9]、神社新報社社長を同年(翌1947年とも[9])に辞めた[9]。1947年末に宗教団体に対しても自粛を要請する文部省通達が出されたが、宗教団体である神社本庁は公職追放の対象にならないとして宮川は神社本庁事務総長辞任を否定[9]。通達の三ヶ月後、宮川は自分の任務であった神社本庁の組織化が完了したとして辞任した[9]。以後神社本庁の顧問となる[2]。
1949年、伊勢神宮式年遷宮奉賛会の発足時の常務理事、1951年2月から同理事長[2]。
追放解除後の1953年の第3回参議院議員通常選挙に全国区から立候補したが落選した[10]。
1963年、死去。
出典
[脚注の使い方]
- 1 2 https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00374224
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 『神道人名辞典』p.587-588、「宮川 宗徳(みやがわ むねのり)」の項(竹本佳徳)
- ↑ 『神社本庁二十年史』1966年、p.1015
- ↑ 【神道文化学部】渋谷ヒカリエで藤本頼生准教授がプレゼンテーション 2016年3月28日更新
- ↑ 『高千穂阿蘇 : 綜合学術調査報告』、滝川政次郎「序」
- 1 2 3 小沢徳一編『母を語る』1-4ページ
- ↑ 保坂達雄 折口信夫と新仏教家藤無染 日本文学 54(4), 56-60, 2005-04-10
- 1 2 3 江戸東京を知る_大東京35区物語_歴代区長一覧
- 1 2 3 4 5 6 7 渋川謙一「四 占領政策と神道界の対応」『占領と宗教』pp.497-513
- ↑ 『国政選挙総覧 1947-2016』544頁。
参考文献
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
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神社本庁事務総長(初代:1946年 - 1948年) | |
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