宮本顕治宅盗聴事件
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概要
経緯
1970年(昭和45年)4月、当時の創価学会副会長だった北条浩の承認を受け、顧問弁護士の山崎正友は学生部の幹部らを指揮して、宮本顕治の自宅近くの電話回線に盗聴器を仕掛けさせ、通話内容の盗聴を行った。盗聴器を発見した宮本ら共産党関係者は同年7月頃に、特定の個人は不明としながらも警察に刑事告訴を行った。
1980年(昭和55年)、山崎正友は週刊誌『週刊ポスト』に手記を発表し、盗聴事件は北条副会長の了承を得た上で、自らを含めた複数の創価学会幹部による犯行であることを告白した。刑事事件としてはすでに時効を迎えていたため、宮本は北条と山崎を含む5名の創価学会関係者に対して、盗聴被害の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。
1988年(昭和63年)に、東京高等裁判所での控訴審の判決後、創価学会側が最高裁判所への上告を取り下げたことにより、創価学会側の敗訴が確定した[1]。
名誉棄損訴訟
1981年(昭和56年)に、山崎は同事件をネタに創価学会に対して5億円を要求する恐喝を行ったとして逮捕され、1991年(平成3年)に山崎は懲役3年の実刑判決を受けて、弁護士資格を剥奪(はくだつ)された[2]。
創価学会は2002年(平成14年)頃から、機関紙「創価新報」等で「こんな悪い奴はいない!」などと題して山崎に関する記事を連載し、山崎はそれらの記事は名誉毀損に当たるとして創価学会を訴えた。裁判では盗聴事件における創価学会幹部の関与についても主張されたが、北条の関与については盗聴事件の裁判で認定されているため、創価新報の記述は確定判決の判断に反すると指摘し、その上で、北条が盗聴を承認していたか否かは、山崎の名誉棄損の程度には影響しないとした[3]。2009年(平成21年)1月28日、創価学会側の報道は山崎に対する名誉棄損に当たらないとして、東京地裁は山崎に敗訴の判決を言い渡した[4][5]。
関連する事件
盗聴事件の実行犯として提訴されたうちの1人は、1968年(昭和43年)に発生した新宿替え玉事件の主犯格として逮捕、起訴されて有罪判決を受け、盗聴をしていた当時は執行猶予中の身であった[6]。
2004年(平成16年)に発生したYahoo! BB顧客情報漏洩事件では盗聴事件の実行犯の1人が、不正アクセスに関与したとして警察に逮捕されたことが明るみに出た[7]。