宮田又鉱山
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| 宮田又鉱山 | |
|---|---|
| 所在地 | |
| 所在地 | 仙北郡協和村荒川(現:大仙市協和荒川牛沢又沢) |
| 都道府県 | |
| 国 | |
| 座標 | 北緯39度39分42秒 東経140度24分04秒 / 北緯39.661778445921925度 東経140.40117577085832度座標: 北緯39度39分42秒 東経140度24分04秒 / 北緯39.661778445921925度 東経140.40117577085832度 |
| 生産 | |
| 産出物 | 銅 |
| 歴史 | |
| 開山 | 1722年 |
| 閉山 | 1965年 |
| 所有者 | |
| 企業 | 横山鉱業部 ⇒宮田又鉱山株式会社 ⇒帝国鉱山開発株式会社 ⇒新鉱山開発株式会社 |
| プロジェクト:地球科学/Portal:地球科学 | |
宮田又鉱山(みやたまたこうざん)は、秋田県仙北郡協和村荒川(現・大仙市協和荒川牛沢又沢)に存在した銅山。中小規模の鉱山であったため、他地域の鉱山と比べて、地域社会との共有が図られた理想的な開発がなされた。断層が多く、湧水が沸き易い性質であったため、その採掘は多くの困難を伴った。旧荒川鉱山の北に接し、鍋倉山(530m)の西側を貫く宮田又沢の上流、芦倉沢とその支流、大鍋倉沢の流域に及んでいた。鉱山事務所は奥羽線羽後境駅から約12kmの専用森林鉄道で連絡をしていた。本鉱山の歴史については新旧『秋田県鉱山誌』や進藤孝一の『宮田又鉱山誌』に詳しい[1]。