宮長雅人 From Wikipedia, the free encyclopedia 生誕 (1954-09-12) 1954年9月12日(71歳) 日本・岡山県新見市高尾国籍 日本出身校 早稲田大学法学部職業 銀行家・実業家みやなが まさと 宮長 雅人生誕 (1954-09-12) 1954年9月12日(71歳) 日本・岡山県新見市高尾国籍 日本出身校 早稲田大学法学部職業 銀行家・実業家肩書き 第9代中国銀行頭取・会長ちゅうぎんFG初代会長テンプレートを表示 宮長 雅人(みやなが まさと、1954年(昭和29年)9月12日[1] - )は、日本の銀行家、実業家[2]。勲等は旭日中綬章。岡山市に本店を置く中国銀行の第9代頭取を務めた。現職としてちゅうぎんフィナンシャルグループ会長を務める。岡山県新見市出身[3]。 生い立ち 1954年(昭和29年)、岡山県新見市高尾に生まれる[4]。1973年(昭和48年)3月、岡山県立新見高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、早稲田大学法学部卒業[2]。 銀行家として 早大卒業後、中国銀行へ入行する[5]。入行後はキャリアを積み、1999年(平成11年)6月、44歳で田ノ口支店長となる[5]。2003年(平成15年)6月に福山支店長。2005年(平成17年)6月、50歳で取締役融資部長となる。2007年(平成19年)6月には常務取締役となり、2011年(平成23年)6月、56歳で永島旭の後任として、取締役頭取へ就任する[5][2]。 中銀のトップとなった宮長は、在任中に会社の改革を行った。その1つに、2017年4月、10年の長期経営計画「Vision2027」を発表し、10年後の2027年度(令和9年)までに銀行の事務作業量を2016年度比で4割削減する方針とした[6]。タブレット端末の導入やペーパーレス化で業務効率化を推進する。それにより、余った人手でより高付加価値の営業やコンサルティング業務、新事業担当などに振り向け、より地域に根ざした活動を行うと発表した[6][7]。 2019年(令和元年)6月、64歳で同行の会長職へ就任し、頭取を退任する。後任の頭取には加藤貞則が就任した[5]。この後、宮長はちゅうぎんフィナンシャルグループの設立を目指し、2022年(令和4年)9月15日、金融庁が設立認可する[8]。10月3日に持株会社(単独株式移転による完全親会社)として設立し、宮長が初代会長として就任する[9]。 この他、宮長は2011年に岡山経済同友会へ入会し[3]、2018から2023年まで代表幹事を務め[3]、岡山商科大学・社会総合研究所後援会の理事を2014年から現在まで務めている[10]。 2025年秋の叙勲で旭日中綬章を受章[11][12][13]。 脚注 ↑ “8382 中国銀行 | 役員の状況 - 宮長雅人”. irbank.net. 2025年7月24日閲覧。 1 2 3 日外アソシエーツ現代人物情報『宮長雅人』 1 2 3 “「ふるさとの光」発見プロジェクト in 岡山 -岡山県新見市-”. c.sanyonews.jp. 山陽新聞社. 2025年7月24日閲覧。 ↑ “宮長雅人中国銀行常務の母、宮長和子さんが死去”. 日本経済新聞 (2011年3月10日). 2025年7月24日閲覧。 1 2 3 4 “ちゅうぎんフィナンシャルグループ役員『宮長雅人』”. www.ullet.com. Ullet(ユーレット). 2025年7月24日閲覧。 1 2 “中国銀・宮長頭取に聞く「事務作業、10年で4割減」”. 日本経済新聞 (2018年3月23日). 2025年7月24日閲覧。 ↑ SHIMBUN,LTD, NIKKAN KOGYO. “地銀新時代トップに聞く(8)中国銀行頭取・宮長雅人氏”. 日刊工業新聞電子版. 2025年7月24日閲覧。 ↑ “銀行持株会社の設立認可について(株式会社ちゅうぎんフィナンシャルグループ)”. www.fsa.go.jp. 2025年7月24日閲覧。 ↑ 「株式会社ちゅうぎんフィナンシャルグループ」の設立およびグループ内組織再編のお知らせ, 株式会社ちゅうぎんフィナンシャルグループ ↑ 商大レビューvol.31 48頁, 2022年『岡山商科大学社会総合研究所後援会』 ↑ 『官報』号外243号、令和7年11月4日 ↑ 毎日新聞 2025年11月3日朝刊、21面。 ↑ “令和7年秋の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 3 (2025年11月3日). 2025年11月4日閲覧。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。表示編集 Related Articles