宮﨑かづゑ

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宮﨑 かづゑ(みやざき かずえ、1928年[1]2月7日[2]-)は、日本のハンセン病回復者。10歳で国立ハンセン病療養所である長島愛生園に入園し、以降園内で生活する。幼少期の故郷の思い出や園内での生活を描いた随筆で知られ、彼女に取材したドキュメンタリー映画に「かづゑ的」がある。

生い立ち

美作市出身[3]。故郷は自然の豊かな山間の村の農家だった[4]。幼少期からハンセン病の兆候が現われはじめ、体が弱くあまり学校にも通えなかったが、家族に守られて家で暮らす[4]

1938年12月、10歳の時に国立療養所長島愛生園に入園するが[1]、入園直後に治療に使用した注射針から雑菌が入り、左足の手術をし療養生活を送る[4]。1年半後、少年舎に移り、園内の小学校に編入する[1]。それまでほとんど学校に通えていなかったことを踏まえて、希望して実年齢より学年を下げた3年生に編入し、1年間熱心に学び、努力賞を貰う[4]。しかしその後治療や戦争のため学ぶことができなくなり、正味2年の就学であった[1]。祖父や父[5]、二人の死去後は母が、毎年かづゑを訪問しており、暮らしている子どもの中では珍しいことだった[4]

戦後、ハンセン病の症状である感覚麻痺と戦時中の労働環境等に起因する足の裏の傷の悪化により[4]19歳で右足を切断[1]。22歳で園内で知り合った宮﨑孝行と結婚する[1]。料理や裁縫の日常を楽しんで行い[6][7]、その生活の中で病に弱った指を最終的には全て失ったが、後悔は全くないと述べている[8]

執筆活動

十代から長年読書に親しみ、国内外の文学作品を心の支えにしてきた[7]。最も好きな本を聞かれて『デルス・ウザーラ』と答えている[9]

80歳頃からワープロで文章を書き始め[1]、園の機関誌『愛生』に発表するようになる[4]フォークを加工した入力用の自助具を使用していた[10][11]。視力が低下してからは、口述で執筆活動を続けている[10]

親友の看取りについて、医療関係者への感謝をこめて綴った『あの温かさがあったから生きてこれたんだよ』を、2010年に私家版として刊行した[1]。親友へ差し入れていたスープ料理研究家辰巳芳子のレシピに基づくものであったことから私家版を辰巳に献呈し、これを契機に辰巳との交流が始まる[6]。その後、2012年にみすず書房から『長い道』が刊行された。2012年のドキュメンタリー映画『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』には、2010年秋に辰巳が長島愛生園に宮﨑を訪問した様子が記録されている[12]

若松英輔は、『長い道』について「いわゆる「病者」の記録」ではないことを指摘し、徹底して日常を語ることで「人生の大事はいつも日常のなかに潜んでいることを、この本は私たちに教えてくれる」と評している[8]。宮﨑自身は「私にも素晴らしい人生があった」と語り、それについてハンセン病療養所でコンサートを行うなどの交流のある沢知恵は「入所者が語る苦しみも喜びも、「どちらも本当のこと」」であり、「人間の尊厳」や「人生への肯定」を「どうか、知ってもらいたい」としている[13]

著作

  • 『あの温かさがあったから生きてこれたんだよ』私家版(2010年)[14]
  • 『長い道』みすず書房(2012年)[15]
  • 『私は一本の木』みすず書房(2016年)[16]
  • 『喜びは大きく悲しみは小さく 続・長島の海に魅せられて』愛生編集部(2022年)[17]

その他雑誌掲載の作品の文献情報は国立ハンセン病資料館「機関誌検索」にて検索可能。

映画

脚注

外部リンク

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