富士忠時
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富士山本宮浅間大社の富士大宮司である。忠時は享徳の乱の際に室町幕府方へ味方し、幕府方の勢力である扇谷上杉氏当主上杉持朝の進軍に呼応している[3]。また享徳4年(1455年)閏4月15日には持朝から戦功を賞されている[4][5]。
寛正3年(1462年)11月2日には能登守に任官されている[6]。これは足利義政の推挙を後花園天皇が承知したものであるが、背景として今川氏の意向の存在や、堀越公方足利政知への協力を意図する義政による政策といった説が挙げられている[7][8]。
文明10年(1478年)の大日如来坐像が村山口登山道が位置する村山(現在の静岡県富士宮市村山)に伝わり、その銘に「大宮司前能登守忠時 同子息親時」とあるため[9]、この文明10年(1478年)時点には能登守を辞していたと考えられている[10]。