富田氏紹

From Wikipedia, the free encyclopedia

富田 氏紹(とみた うじつぐ、寛永3年(1626年) - 宝永2年9月23日1705年11月9日))は、江戸時代前期の仙台藩士。通称は源七郎、仁左衛門(二左衛門)。官途は壱岐守

寛永3年(1626年)に宮川有定の子として誕生。会津蘆名氏の家臣であった会津富田氏富田氏繁の養子となる[1]

万治3年(1660年)に藩後継の亀千代(4代藩主伊達綱村)の守役に選出され、江戸屋敷で教育に当たった。

寛文11年(1671年)からの伊達騒動の最中でも一貫して亀千代を支え続け、延宝3年(1675年)に藩に入ると奉行職を経て家老に就任した。

綱村の政務に貢献し、桃生郡小野本郷に2000石を与えられている[2]。そして今までの功績から永代着座二番座の家格を与えられている。

晩年は安軒と号した。

宝永2年(1705年)9月23日に死去。

子の紹実以降、実樹・篤実・実継・実保・実行・実文と続き、幕末には実保の息子・富田小五郎[3]が仙台軍・大隊長として戊辰戦争を戦い、その弟・富田鐵之助明治時代に実業家として活躍する。

参考資料

関連項目

脚注

Related Articles

Wikiwand AI