寺井千万基
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騎手免許試験の実技では安田隆行とコンビを組んで臨み、障害で先にスタートしたが、障害の直前で馬が言うことを聞かずに逸走してしまった[2]。
寺井の逸走を見た後に同じ馬に乗っての試験となった安田は既にその馬の癖を把握し、満点の騎乗と回答で一発合格を果たしたが、寺井は安田に1年遅れての合格となった[2]。
体重の重さ[3]から障害専門の騎手免許を取得し[4]、1973年に栗東・伊藤修司厩舎からデビューしたが[5]、当時の伊藤厩舎に障害馬がいなかった[4]。伊藤は母系が障害向きでスタミナが豊富なグランドマーチスに目を付け、同馬を障害に転向させる[6]。
グランドマーチスの障害練習では普通では考えられない位置から飛越しようとし、そのジャンプ力についていけず、振り落とされた[3]。
1年目の同年はグランドマーチスの入障初戦となった3月3日の阪神第4競走5歳以上未勝利が初騎乗[7] [8]となったが、4コーナーで内を突いているつもりが外に行ってしまい、2着と初陣を飾れなかった[3]。コンビ2戦目となる同24日の阪神第4競走5歳以上未勝利で逃げ切って1馬身差で人気に応え[3]、人馬共に初勝利を挙げる[7] [8]。
初年度は京都大障害(春)・グレーアターフで重賞初騎乗[8]を果たしたほか、グランドマーチスで3勝[7]、平地時代にスワンステークス・阪急杯を勝っていたフアストバンブーでも勝利[9]するなど、4勝[10]をマーク。
2年目の1974年にはグランドマーチスで中山大障害(春)に初挑戦し、中団から水濠、土塁、土塁と危なげない飛越を見せて最初のバンケットに向かうと、外から進出して2番手まで上昇[11]。牝馬モビールターフに並びながら馬なりのまま、最初の難関である大竹柵を難なく飛越[11]。左回りにコースを取ってからは2番手以下に大きく差を付け、5馬身、6馬身と快調に逃げると、第二の難関となる大土塁も断然先頭で飛越[11]。3コーナーの勝負所ではヒロサンダーに猛追されて差が縮まるが、最後の直線でも脚色は衰えず、2着争いをものともせず完勝[11]。人馬共に重賞初勝利を初挑戦の大障害で挙げ[7] [12]、関西馬としては1967年ヤマニンダイヤ以来の大障害制覇となり[11]、グランドマーチスはこの勝利で1億円馬となった[11]。秋は京都大障害初制覇で重賞2勝目を挙げ[7] [13]、中山大障害(秋)ではスタート後すぐに先頭に立ち[14]、低く身を沈めて大竹柵を真っ先に越えると[15]、谷と最後の障害を越すのにはただ手綱を押さえるだけであった[15]。4コーナーから直線にかけての後続馬の追走も苦にならず[15]、勝ち時計4分40秒2は従来のレコード4分44秒7を大幅に更新し[15]、フジノオー以来4頭目となる春秋連覇を果たす[15]。
1974年は初の2桁勝利で自己最多となる14勝[10]をマークしたが、その内の重賞3勝を含む9勝をグランドマーチスとのコンビ[16]で挙げた。
3度目の大障害となった1975年春はスタートから積極的に前に出て、1周目スタンド前の水濠手前で早くも先頭に立つ[17]。最後の土塁を飛越した時には3連覇が確実になり、直線で猛然と追い上げた2着サクラオンリーには6馬身差をつけた[17]。3連覇達成後の京都大障害(春)では向正面で先頭のブゼンサカエとの差が200mもあったが、3コーナーから進出し、レース前の伊藤の指示通りに外を通る[18]。内へ入ったブゼンサカエを外から追い上げてアタマ差で9連勝を達成[18]。京都大障害(秋)も制して同レース3勝目と春秋制覇を達成するが、寺井にとって最後の重賞制覇となる[19]。
4連覇を達成した中山大障害(秋)は股関節骨折の落馬事故で法理弘に乗り替わったが[18]、1975年も2桁の10勝[10]をマーク。10勝中6勝は重賞3勝を含めてグランドマーチスで挙げたが[20]、寺井とのコンビで挙げた勝利は京都大障害(春)が最後となった[7]。
明け8歳になった1976年の中山大障害(春)は重量変更で66kgを背負わねばならず、ハイペースで最後のバンケットも一杯になり、エリモイーグルにレコードでの逃げ切り勝ちを許す2着に終わった[18] [21]。
グランドマーチス引退後は3勝に終わり[10]、1978年3月4日の阪神第5競走5歳以上300万下・アランフェスが最後の勝利[22]となる。
1978年はホワイトカイウンで京都大障害(秋)3着[22]に入ったが、1979年4月7日の阪神第5競走5歳以上オープン・キーファイアで競走中止したのが最後の騎乗[22]となり、1980年2月28日付で現役を引退[23]。
引退後は伊藤修厩舎で調教専門の調教助手となり[24]、ハギノカムイオー[5]・ニシノライデン[25]・スーパークリークなど数々の名馬を育て上げた[5]。
2000年に伊藤が定年になった後は鮫島一歩厩舎に移籍し[5]、ブライトラインなどを手がけ[26]、65歳の定年を迎えた2016年1月末まで務めた[1]。
騎手成績
脚注
- 1 2 『優駿』2016年3月号、142頁。
- 1 2 “安田隆行調教師連載【7】ついに騎手デビュー!!喜びと期待が駆け巡った”. tospo-keiba.jp. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 3 4 “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 “名障害馬グランドマーチス - 長岡一也”. netkeiba.com. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 3 4 “寺井千万基”. keiba.nikkan-gendai.com. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “グランドマーチス (Grand Marchs)”. netkeiba.com. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 3 “寺井千万基の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “ファストバンブー (Fast Bamboo)”. netkeiba.com. 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 3 4 “寺井千万基|騎手データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年3月20日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “寺井千万基の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月20日閲覧。
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- ↑ “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 3 4 5 “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “寺井千万基の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月20日閲覧。
- 1 2 “HTML5 Webook”. www.jra.go.jp. 2026年4月20日閲覧。
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- 1 2 3 “寺井千万基の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “異色の転身、障害界を盛り上げてほしい! 3月20日(日)の放送予定|中央競馬実況中継|競馬|ラジオNIKKEI”. www.radionikkei.jp. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “幸せな日曜日…が、”. ameblo.jp. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “ニシノライデン31年目の真実”. ameblo.jp. 2026年4月20日閲覧。
- ↑ “「2014 ドバイワールドカップデー」 日本馬情報(3/25) - 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル (JAIRS)”. www.jairs.jp. 2026年4月20日閲覧。
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