寺師見國

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死没 (1959-10-15) 1959年10月15日(70歳没)
国籍 日本
寺師 見國
てらし みくに
Mikuni TERASHI
人物情報
生誕 (1889-01-01) 1889年1月1日
鹿児島県南九州市(旧川辺郡知覧町
死没 (1959-10-15) 1959年10月15日(70歳没)
国籍 日本
出身校 九州帝国大学
学問
活動地域 日本
研究分野 考古学
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寺師 見國(てらし みくに、寺師 見国とも、1889年〈明治22年〉1月1日- 1959年〈昭和34年〉10月15日)は、日本の開業医考古学者鹿児島県出身[1]。地元鹿児島県で開業医として医療に従事する傍ら考古学の研究や発掘調査に参加し、考古学における鹿児島県史研究の基礎を築いた[1]

現在の鹿児島県南九州市にあたる旧川辺郡知覧町に生まれる[2]九州帝国大学医学部を卒業して医師となり、1916年(大正6年)に鹿児島に戻って北伊佐郡大口村(現在の伊佐市)にて「寺師医院」を開業する[1][2]

そのかたわら、郷土の遺跡遺物など、考古学の分野にも関心を示し、1930年(昭和5年)に旧制大口中学校に赴任してきた早稲田大学出身の教師・木村幹夫(きむら みきお)に出会って以降[注釈 1]、共に県内遺跡の発掘調査を行うようになった[1]

鹿児島県内の縄文土器編年研究を行い、「手向山式土器」と「塞ノ神式土器」を設定した。また、古墳時代の研究では、伊佐市域など鹿児島県北西部(北薩地域)に分布し、現在は板石積石棺墓と呼ばれている地下式の墓制について研究し、初めて「地下式板石積石室墓」という名称を与えた。また、大隅地域に分布する地下式横穴墓なども研究し、鹿児島県域の考古学研究に業績を残した[1]

1959年(昭和34年)10月15日に死去。

脚注

参考文献

関連項目

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