寿岳しづ
日本の随筆家
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
日本ライトハウスの創始者で愛育事業を行った岩橋武夫の妹。兄武夫が早稲田大学在学中に失明し関西学院に転じたため、兄の杖がわりとなって一緒に通学、ノートをとるなどして助けた。 1923年に英文学者・寿岳文章と結婚[3][4]。1927年に小説『朝』を発表した後、1933年に居を京都府乙訓郡向日町(現・同府向日市)に移した[5]。1937年、ウィリアム・ハドソンの『はるかな国・とほい昔』を翻訳するなど、文筆活動に活躍。
文章とともに和紙の研究を行い、1943年に共著『紙漉村旅日記』を私家版で刊行。戦後は平和・女性運動に携わり、市川房枝の婦人運動に参加、京都の「憲法を守る婦人の会」代表幹事、「明るい民主府政を進める婦人の会」代表委員を務めた。国語学者で社会運動家の寿岳章子は長女[6]、天文学者・寿岳潤は長男。
1981年6月27日午前8時50分、老衰と急性肺炎のため京都市の京都府立医科大学附属病院で死去[7]。79歳没。