封内風土記
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宝暦13年(1763年)に、仙台藩主伊達重村の命により、田辺希文が編纂し、明和9年(1772年、安永元年)に完成させた[1]。叙によると、会津藩の保科正之が編纂させた『会津風土記』にならい、統治の参考にするために作られたものである[2]。先行するものに佐久間洞巌の『奥羽観蹟聞老志』、佐藤信要の『封内名蹟志』があって、文中しばしば両書を参考に引き、継承の意を明らかにしている。
完成した明和9年(1772年)の末に希文は81歳で死去した。希文は老齢で実地調査ができず、先行の地誌を十分に訂正・克服できなかったことを無念として、子の希元に改訂事業を託した。希元が編集する新しい風土記のために、仙台藩が領内の村と寺に提出させたのが、多数現存する「風土記御用書出」(通称『安永風土記書出』)である。しかし結局改訂は成らずに終わった[3]。