将棋指し
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江戸時代の家元制度
徳川家康が江戸幕府を開くと、算砂と宗桂は京に在住しつつ、家康の保護を受けるようになった。彼らの子孫はやがて江戸に移住して幕府から俸禄を受けることになった。宗桂の末裔である「将棋三家」(大橋本家・大橋分家・伊藤家)は、将棋の家元となり、歴代の名人を輩出する。長い間、将棋三家は幕府から「将棋所」の役職に任じられていたと思われてきたが、現代の大橋家文書の研究(増川宏一)により、「将棋所」が彼らの自称にすぎないことが判ってきた。
家元としての将棋三家は幕府の俸禄を受けるいわば専業のプロであり、収入も安定したものであったとされる。これに対して、その門弟たちあるいは「在野派」と呼ばれる一般の「棋客」たちは、将棋だけでは生計が立たずに他に生業を持つことが多かったとされる。賭け将棋を生業とする「真剣師」と呼ばれる一種の賭博師もいたが、これは安定した職業とは思われず、しかも江戸幕府治下において賭博は重犯罪であった。
明治・大正の苦闘
明治維新で江戸幕府が崩壊して家元制度が消滅すると、専業の将棋指しはほぼ皆無となった。当時「将棋師」とも呼ばれた将棋指しの多くは、賭け将棋あるいは生業を別に持ちながら、将棋の復興に向けて苦闘を続けた。いくつかの将棋指しの団体も作られ、専門紙の発行による新聞棋戦も試みられたがなかなかうまく行かなかった。