尊寿院
大友義統の正室
From Wikipedia, the free encyclopedia
略歴
義統との間に4人の子供を儲けるが、近親婚の子であり、元来病弱な女性であったという。
天正15年(1587年)、舅であり伯父である大友宗麟の命により、キリスト教に改宗して、洗礼名「ジュスタ」を授かる。この時に息子と2人の娘も受洗、嫡子義乗は「フルゼンシオ」、娘は「サビイナ」「マキシマ」という洗礼名を授かった。
文禄の役の時豊臣秀吉の命により上阪し、大坂城下の大友屋敷に入った。しかし文禄2年(1593年)、夫・義統(当時「吉統」)が改易されたことで大坂を追放され、夫の配所への同行も許されず、幼い子供3人を連れ、旧領の豊後国を供もなく放浪する悲惨な目にあった[3]
柳川城主となっていた立花宗茂(左近)の元に身を寄せることとし、筑後国下妻郡禅院村に屋敷を与えられたが、ほどなく文禄4年に死去した。
禁教令の前であったが、日蓮宗徒として葬られ、戒名は尊寿院殿日正大姉、墓所は尊寿寺(福岡県みやま市)。同寺は柳河領内最初の法華の寺。