村上源蔵によって1888年(明治21年)に開鉱した[2]。石灰窯により消石灰・生石灰の製造を行っていた[2]。
1932年(昭和7年)に大阪窯業セメント(現:住友大阪セメント)により操業されるようになり、機械設備が完備され近代的な操業を開始した[3]。機械化によって、月20,000トンの生産を行うようになった[2]。
1946年(昭和21年)から1950年(昭和25年)の平均生産量は5.8万トン、従業員は1955年(昭和30年)ごろで50名前後であった[4]。1954年(昭和29年)3月に大阪窯業セメントが直営を中止し、休山。同年、村上源司が継承し規模を縮小し操業を再開した[5]。
1972年(昭和47年)に休山となった[2]。終掘時には海面下まで掘り進んでいた[1]。閉山後は、この露天掘り跡地に水面約1ヘクタールの湧水池が生まれ、関前村では1977年(昭和52年)から水源地としている[1]。