1873年(明治6年)に全国で一斉に設置された小学校は、師範学校卒を教員にする予定であったが、はじめは師範学校がなかったので、寺子屋師匠などを仮教員にして開校した。師範学校が作られても卒業生は必要数にはるかに足りず、卒業生から授業方法を学ぶ場が各地に作られた。仙台では、宮城師範学校第一回卒業生で東二番丁小学校教師の木村敏が、そうした講習のための学校を設けるよう宮城県に建議した[1][2]。提案が採用されて開校したのが小学校伝習学校である[1][2]。
場所は仙台の外記丁、北一番丁との角[1][2]。宮城県庁、宮城師範学校のそばである。1875年(明治8年)3月22日に開校式を行った[1]。
教員は校長の木村敏のほか、志村恒敬、男沢抱一、坂本隆定である[3]。坂本は算術予科教師でやや下の待遇である。本科教師の3人はいずれも宮城師範学校の卒業生で、小学校訓導として現役の教師でもあった[3]。生徒定員は70人で授業料はなかった[3]。授業時間は一日4時間30分で、大略100日で下等小学科を修了する速成教育であった[3]。卒業者は宮城県内で小学校下等科の生徒を教える資格を5年間有することになっていた[4]。年限の後は試験で更新可能である。小学校下等科は義務教育の4年間にあたる。
ところで、1873年(明治6年)に小学校に入った生徒は、1877年(明治10年)に下等科を修了し、その後も学業を続ける子は小学校上等科に進むことになる。仮教員が多い時代なので教えられないことはないが、制度上は伝習学校卒業生に上等科教育の資格がない。そこで木村は伝習学校に上等小学科を設けることを切望した[5]。
1876年(明治9年)4月に上等科を設けることとなり、あわせて仙台師範学校に改称・改組した[6][7]。一年余りの期間に伝習学校は130余名の卒業生を送り出し、なお80余名の生徒が在籍していた[6]。