小室光男
From Wikipedia, the free encyclopedia
島根県松江商業では遊撃手で主将。1965年春季中国大会では決勝に進出。関西高の森安敏明らに抑えられ準優勝にとどまるが、好選手として注目された。100m走11秒台の足をもち、高校時代の通算打率は3割。
同年の第1回プロ野球ドラフト会議で西鉄ライオンズに13位指名され入団した[1]。2年間は一軍出場がなかったが、1968年8月21日に日生球場で行われた近鉄バファローズ戦に代打で初出場。初打席で加藤英夫の初球を打ち、塩瀬盛道以来当時2人目となる初球でプロ初打席初本塁打を記録した[1]。その後も俊足を活かし、代走や外野の守備固めを中心に起用される。1969年5月20日には近鉄を相手に右翼手として初先発出場を果たすが、同年限りで現役引退[1]。
現在は福岡県立春日高等学校野球部のコーチとして活動中。