『日本書紀』に小山上の冠位で記された人物としては、まず白雉4年(653年)の遣唐使の大使吉士長丹がいる。彼は翌年帰国し、唐国天子に奉対して文書宝物を持ち帰った功績により小花下になった[2]。副使の吉士駒は小乙上だったが、帰国後に小山上になった。
百舌鳥土師土徳は、 白雉5年(654年)に崩御した孝徳天皇の殯宮のことを管理した。
天智天皇10年(671年)1月、亡命百済人に一斉に冠位を授けたとき、達率の徳頂上、吉大尚、許率母、角福牟が小山上になった。
『常陸国風土記』には、小山上の物部河内が白雉4年(653年)に信太郡の新設に携ったとある[3]。