小島三郎
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- 旧姓は巖田(いわた)。岐阜中学校(現・岐阜県立岐阜高等学校)卒業後、実業家を目指して東京高等商業学校(現・一橋大学)に入学したが、21歳の時に羽島郡中屋村(現・各務原市)の叔母の小島家に養子にだされ、小島姓となる[1]。小島家が代々医者であったため、家業を継ぐために東京高等商業学校を中退している。
- 医学界のみならず、スポーツ界においても、1936年(昭和13年)に全日本スキー連盟会長に就任、スキーの指導者の検定制度を設けるなど、近代日本スキーの基礎をつくりあげている。
- 伝染病予防、予防衛生学、公衆衛生など、病気の予防に対する研究を終生行っている。研究内容は防疫、予防、上下水道、大気汚染、食中毒と多岐にわたる。特に、予防衛生学の基礎確立に尽力している。コレラ、腸チフス、赤痢の消化器系伝染病の撲滅を目指し、赤痢についてはSS寒天培地、検査法の改良に力を注いでいる。
- インフルエンザに対してまだ国内で関心が無い時、インフルエンザウイルス研究を始めている。
来歴
- 1888年(明治21年) - 岐阜県羽栗郡河田島村(現・各務原市川島河田町)にて巖田弾之丞の三男として生まれる。
- 1909年(明治42年) - 東京高等商業学校中退。第七高等学校造士館へ入学。
- 1912年(明治45年) - 第七高等学校を卒業。東京帝国大学医科大学に入学。
- 1916年(大正5年) - 東京帝国大学医科大学卒業。
- 1917年(大正6年) - 伝染病研究所に入所。技手として附属病院で診療を行う。
- 1920年(大正9年) - 医学博士の学位を取得。
- 1926年(大正15年) - 細菌学、衛生研究の為、2年間ドイツへ留学。
- 1935年(昭和10年) - 東京帝国大学教授に任じられる。
- 1947年(昭和22年) - 国立予防衛生研究所設立とともに副所長として就任。
- 1954年(昭和29年) - 国立予防衛生研究所所長に就任。
- 1958年(昭和33年) - 国立予防衛生研究所所長勇退。保健文化賞受賞。