小松江里子
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脚本家になりたいと思うようになったのは、1980年、向田邦子が直木賞を受賞したことで一躍脚本家が脚光を浴び出したころ、これに触発されるようになったことだったという[1]。向田作品を書き写して脚本家修業に励み、19歳の時に私小説風シナリオが映人社『月刊ドラマ』に掲載される[1]。しかしその後は「脚本家なんて無理」とあきらめて大学卒業後は小学校教員となる[1]。しかしその後再び脚本家になりたい思いが湧き、シナリオサークルに参加。試しに執筆した「学校を舞台にした刑事もの」の脚本が『部長刑事』(朝日放送)で採用され、1986年にその部長刑事で脚本家デビュー[1]。教師も脚本家も両方片手間には出来ないと判断して、25歳の時に教師を退職して脚本家一本に絞る[1]。『天下茶屋のハッちゃん』(NHK大阪)など関西ローカルのドラマを担当した後上京し[1]、その後、『はいすくーる落書2』(TBS)や『セカンドチャンス』(同)など数々のドラマの脚本を担当。主にNHKやTBSのテレビドラマを数多く担当する。
2008年に橋田賞を受賞。
2009年のNHK大河ドラマ『天地人』の脚本を担当し、2015年に大河ドラマ『花燃ゆ』の明治編以降の脚本に途中から加わっている。
夫は元TBSの伊藤一尋プロデューサーで、コンビを組んだ作品が殆どである。さらに、同郷出身である俳優の赤井英和やKinKi Kidsの堂本剛は小松が脚本を担当したドラマに出演することが多かった[注 1]。