小林忠生
From Wikipedia, the free encyclopedia
| ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 名前 | ||||||
| カタカナ | コバヤシ タダオ | |||||
| ラテン文字 | KOBAYASHI Tadao | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
| |||||
| 生年月日 | 1930年7月7日(95歳)[1] | |||||
| 出身地 | 神奈川県 | |||||
| 身長 | 173cm[1] | |||||
| 体重 | 63㎏[1] | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF | |||||
| ユース | ||||||
|
| ||||||
| 1950-1953 |
| |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
|
| ||||||
| 代表歴 | ||||||
| 1956 |
| 3 | (0) | |||
| 監督歴 | ||||||
|
| ||||||
|
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
小林 忠生(こばやし ただお、旧姓:早川、1930年7月7日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。父親は日本海軍中将の早川幹夫[2]、実兄の早川純生もサッカー選手で、東京大学、日本鋼管で活躍した。
神奈川県立湘南中学校時代の1948年に第3回国民体育大会で準優勝。卒業後は慶應義塾大学経済学部に進学しソッカー部に所属。在学中の1953年には鈴木徳衛と共に日本学生選抜に選出され、1953年国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。1954年3月に大学を卒業[3]。卒業後は東京海上火災保険に入社した(勤務先でサッカー部活動を行ったかは不明)。
卒業後も慶應BRB(現役、OBで構成された混成チーム)の一員として1954年、1956年の全日本サッカー選手権大会優勝に貢献。また、1956年6月3日のメルボルン五輪予選、対韓国戦で日本代表デビュー[1]。同年11月のメルボルン五輪本大会にも出場した。
引退後は母校の慶應義塾大学で監督を務めた。
所属クラブ
- 神奈川県立湘南中学校
- 1950年 - 1953年 慶應義塾大学
- 慶應BRB