小林正明 (実業家)
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25歳のとき自動車の装飾品・部品を扱う会社を設立して業績を挙げ、小林の会社「ゲインズ」は一時F1レースのスポンサーにも名を連ねた[1]。

1988年12月に日本中央競馬会(JRA)の馬主資格を取得し[1]、翌年にはアイネスフウジンが朝日杯3歳ステークスを制してGI競走に初優勝。翌1990年には、中央競馬史上最多の入場人員を記録した[2]日本ダービーに優勝し、資格取得から2年でダービーオーナーとなった。ほか1993年の府中3歳ステークス[3]を制したアイネスサウザーなども所有した。競馬記者の諸星由美は元々は 小林の経営する会社の従業員で、小林の紹介で競馬記者に転身した。
その後、本業でも関東から東海地方に続々と店を出していったが[4]、業界は日本ダービー優勝の頃をピークとして以後景況が悪化していった[4]。小林も1996年頃に銀行からの新規融資を断られ[4]、1998年2月25日、東京都国立市内のホテルにおいて自動車関連企業の社長2名と共に心中自殺(縊死)した[5]。当時、社長3人が自殺するというセンセーショナルな事件としてニュース速報が流された。51歳没。他の2名とは20年来の取引相手かつ友人であり、互いに手形を融通しあって資金を調達していたが、資金繰りに行き詰まったとされる[4]。自殺した25日は決済日であった[4]。小林には4億円の死亡保険が掛けられており、家族に対する遺書のほかに、会社の机上に「保険金を資金繰りの足しにしてください」という遺書が残されていた[4]。会社は37億円の負債を抱え、小林の死去から2日後に自己破産手続きに入った[6]。