小林範仁

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カタカナ コバヤシ ノリヒト
ラテン文字 Kobayashi Norihito
国籍 日本の旗 日本
小林範仁
名前
カタカナ コバヤシ ノリヒト
ラテン文字 Kobayashi Norihito
基本情報
国籍 日本の旗 日本
種目 ノルディック複合
生年月日 (1982-05-04) 1982年5月4日(43歳)
生誕地 秋田県北秋田市
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1999-2000シーズン
引退年 2011
最高成績 4位
獲得メダル
ノルディックスキー世界選手権
2009リベレツ団体

小林 範仁(こばやし のりひと、1982年5月4日 - )は、秋田県北秋田市出身のノルディック複合選手。冬季オリンピック3大会ノルディック複合日本代表。2009年ノルディックスキー世界選手権金メダリスト。

秋田県立花輪高等学校日本大学経済学部経済学科を卒業、東京美装興業に所属していた。現在は秋田テレビに勤務。

世界選手権団体で金メダルを獲得

阿仁町 (現在の北秋田市) で生まれ、父親の影響を受けてノルディック競技を始めた。ジュニア時代から頭角を現し、1999-2000シーズン後半よりノルディック複合・ワールドカップに参戦。

2000-01シーズンは12月30日のリレハンメル大会で12位、2月のノルディックスキージュニア世界選手権では日本勢で初めて金メダルを獲得し、同月に開催されたノルディックスキー世界選手権にも初出場した。2002年2月にはソルトレークシティオリンピックにも出場し、2003年ユニバーシアードではノルディック複合個人、スプリント、団体の3種目で優勝した。

2005-06シーズン頃より元々得意としていたクロスカントリーに加えて、ジャンプの実力が上昇しW杯での上位進出回数が増加した。1月21日のハラホフ大会で自己最高の4位、翌日も9位に入るとその後も2度目の出場となったトリノオリンピックを含めて安定して20位以内の成績を残した。

翌2006-07シーズンに少し成績を落としたが、2007-08シーズンは1月26日のゼーフェルト大会4位など出場17戦中15戦で20位以内に入る安定した成績を残し、個人総合で自己最高の13位となった。

2008-09シーズンも2度6位に入るなど前半戦より度々上位に進出。

2月にリベレツ チェコ)で開催された世界選手権は個人戦ノーマルヒルで5位となり、世界選手権の個人種目で日本勢4大会8年ぶりの入賞を達成。

団体戦は湊祐介加藤大平渡部暁斗とともに出場。日本は前半のジャンプで5位につけると、後半クロスカントリーは1走の湊がトップとの24秒差を詰めて先頭集団に加わった。2走加藤と3走渡部も先頭集団でのレースを維持したままアンカーの小林に繋ぐと、小林はクロスカントリーに強いドイツのティノ・エデルマン、ノルウェーのマグヌス・モーアンの両名とレース終盤まで優勝争いを繰り広げた。そして、最後の登り坂を登り切った残り700m地点でスパートをかけて3位からトップに躍り出ると、ゴール地点で写真判定となったラストのスプリント勝負を制し、優勝を達成した。日本にとって世界選手権団体戦での金メダル獲得は1995年世界選手権以来7大会14年ぶりで[1]、小林も距離に強い「新しい複合ニッポン」の象徴的存在となった[2][3]

2009年3月30日、秋田県県民栄誉章受章[4]

バンクーバーオリンピックシーズン以降

2009-10シーズン、1月16日のショーヌーヴ大会の5位から3戦連続で一桁順位を記録。2月に3度目の五輪出場となるバンクーバーオリンピックを迎えた。個人(ノーマルヒル/10km)では前半ジャンプで12位につけると、トップから58秒差でスタートした後半クロスカントリーで優勝争いに加わり、終盤残り約1㎞の地点で一時トップに立つ健闘を見せ7位に入賞した[5][6]

2010-11シーズンもワールドカップ、世界選手権に出場した後、現役を引退した。

引退後は地元秋田の秋田テレビに在籍。2025年3月現在、同社営業局営業企画部副部長[7]

主な戦績

オリンピック

世界選手権

FISワールドカップ

  • 初出場 2000年2月12日,日本・札幌大会 - 21位
  • 最高成績 - 4位(2006年1月21日チェコ・ハラホフ大会、2008年1月26日オーストリア・ゼーフェルト大会)
  • シーズン個人総合最高成績 - 13位(2007-2008年シーズン)
  • ワールドカップB - 3位1回

ジュニア世界選手権

冬季ユニバーシアード

脚注

関連項目

外部リンク

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