小梁川盛宗 From Wikipedia, the free encyclopedia 小梁川 盛宗(こやながわ もりむね) 室町時代の人物。 戦国時代の人物。 小梁川盛宗(こやながわ もりむね、永享12年(1440年) - 明応9年10月28日(1500年11月19日)[1])は室町時代の人物。陸奥小梁川氏の祖。伊達持宗の子。中務少輔[2]。小梁川親朝、小梁川宗朝の父。 伊達郡の小梁川の地に分家し、小梁川氏を興した。下記の盛宗は曾孫である。 戦国時代の盛宗 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?: "小梁川盛宗" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2023年3月) 小梁川 盛宗(こやながわ もりむね、大永3年(1523年)- 文禄4年1月14日(1595年2月22日))は、戦国時代の人物。陸奥小梁川氏当主。伊達氏家臣。伊達晴宗の娘婿。小梁川親宗(尾張守)の子。小梁川宗重の父。中務。小梁川親朝系の人物であり、上記の盛宗は曽祖父にあたる。 伊達晴宗の代から伊達氏に仕え、出羽国置賜郡の高畠城を与えられていた。智勇に優れた人物で、最上氏の武将・里見民部との戦いや大内定綱との戦いで武功を挙げた。しかし1570年に中野宗時が出奔したときは、これを見逃したために義弟である輝宗の怒りを買った。1585年に伊達輝宗が死去すると、老齢を理由に一線から退いて隠居し、以後は伊達政宗の側近として政宗に助言したと言われている。晩年は泥蟠斎と号した。文禄4年(1595年)正月14日、京都で死去した。享年73。法名は心連院泥蟠日雄居士[2]。 脚注 ↑ 『増訂再版伊達略系』第1巻 1 2 上山市市史編さん委員会 編『上山市史 上巻 (原始・古代・中世・近世編)』1980年、382-383頁。doi:10.11501/9570267。https://dl.ndl.go.jp/pid/9570267/1/218。 Related Articles